堀江貴文『ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく』を読んだ

ときどき自己啓発っぽい本を読まないと気持ちが鈍麻してしまう。以前から一冊は読もうと思っていた堀江貴文氏の著作で評価が一番高そうな本を読んだので、久々に記事を書く。内容を単にまとめても自分としては仕方がないので、自分なりの解釈や考えさせられたことを述べる。
ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

 堀江氏の要点となる主張には、だいたい次のようなものがあったと思う。
  • 働くことは人や社会とつながるための手段
  • 働くことは時間をお金に換えるものではなく、仕事によって稼ぐものであるべきだ
  • 作業に没頭することで仕事が好きになる
  • チャンスに怖気づかず、ノリよく飛びつくことが変化への契機
  • 自信は経験によって培われる
  • 感情で物事を悩んで判断すると失敗するので、理性で考えて決断しよう

他にも主張はいくつかあるが、だいたい上に挙げたものに収まる。

起業家、あるいはビジネスマンとしての物事の考え方は、学生である我々とは良い意味で異なるから、その点について特に記述したい。

  • 働くことは人や社会とつながるための手段

僕の周囲の京大生諸君は学生でいることが社会に認められ続ける唯一の道だと思い込んでしまう節があり、そのために留年したり大学院に進学してしまったりするが、社会人になると立場は変われどそれはそれとして社会から認められるのであり、おまけにお金も稼げる。どうせなら世界とつながれてお金も稼げた方がいい。したがって働くことは、人や社会とつながるためのベストな選択だと言える。

  • 働くことは時間をお金に換えるものではなく、仕事によって稼ぐものであるべきだ

時給という概念が、「時間を捻出してその対価に報酬を得る」という発想につながっていると思う。サービス残業やブラック労働というのもコインの裏面と言えるだろう。被雇用者としてそのような価値観を内面化し続ける限り、仕事によって価値を生み出すという考えには思い至らないだろう。しかし堀江氏は学生の時から「仕事をしてお金を稼ぐ」という経験をし、それが起業にもつながったように思う。

  • 作業に没頭することで仕事が好きになる

これは社会学の高橋由典先生の「体験選択」という概念に相当する。

「体験選択」とは、ある行為に思わずも没頭するという体験を通して、事後的にその行為を容認し、以後も無意識に選好するようになることを指す。

行為論的思考―体験選択と社会学 (叢書・現代社会のフロンティア)

行為論的思考―体験選択と社会学 (叢書・現代社会のフロンティア)

 

書中では戦争嫌いの青年が兵役の中で銃を取り扱った体験に魅了され、訓練において非常に良い成績を収めるようになるといった事例が紹介されている。

つまりプログラミングにしろ営業にしろ、ある物事に夢中になった体験があれば、それが内的な動機づけとなり仕事がうまく回るようになったということが書いてある。「やりがいのある仕事」とかいったものができているかどうかは、この一点にかかっていそうである。そうした没頭の手段としては、「短期的なルールを自分で作る」といったことが書かれてある。

  • チャンスに怖気づかず、ノリよく飛びつくことが変化への契機

これについては後悔していることがいくつもあるし、意識に上っていないものもたくさんあると思う。特に思い起こされるのは約一年前に id:hidesys によって開かれたWebサービス勉強会で、これに参加した一人である id:kiryuanzu はその後も数々のチャンスを捉え続け、現在エンジニア志望の学生として企業面接を破竹の勢いで突破している。当時の私は卒業研究中で京都に居住地がなく、ノートPCも破損していて外出先では使えなかったので参加するには至らなかった。しかしこれこそは私がプログラミングを勉強する最後のチャンスであったと思う。その他のサークルやシェアハウス界隈の催しには「ノリよく」飛びついてきた方だと思うが、この一点は今思い返すと本当に命運の分かれ目だったと思う。ただし堀江氏はこのような過去については「振り返らない」と述べている。

  • 自信は経験によって培われる

先の主張と矛盾するように思われるかもしれないが、このようなチャンスに怖気づかず飛びつき、それを進めていくための自信は、他ならぬ経験によって培われる。堀江氏自身、そうした自信を学生の時のヒッチハイクの体験によって得たと書いている。しかし女性に対する自信のなさはそれでは培えず、三十代に入ってもまだ持てていなかったともある。挑戦への勇気とそれを実行する自信とは、相互作用するものなのだろう。

  • 感情で物事を悩んで判断すると失敗するので、理性で考えて決断しよう

これは本当にそうだ。周囲の学生は恋愛にしろ人生にしろ、感傷的になって悩み抜くことを良しとしているように見える。それはそれで大事な経験なのかもしれないが、ほどほどにしてそのステージを抜けていかなければならないと思う。その先にあるのは、ルールに則って合理的に判断し、よりよいと思われる選択肢を選び取ることだと思う。学生をやめて社会に出るのは一つの決断であり、それができないのは怯懦というべきものだろう。

 

五輪開催中の韓国へ行きました

  • ホテルは取らずにチムジルバンで寝泊まり
  • うち一晩はホンデのナイトクラブで明かした
  • オリンピックが開催されているピョンチャン・カンヌンへは、距離が遠く時間もお金もかかることに加え、チケットも取っていないので会場だけ見て帰ることになりそうだったので見送り
  • オリンピックグッズを買い損ねた
  • bolbbalgang4とLena ParkのCDが買えたのが良かった
  • 16日はソルラル(旧正月)なので飲食店が全然開いてなかった
  • 観光旅行かとよく聞かれるが、そのような気持ちはあまりしていない。「鴨川沿いを歩くのを“観光”とは言わないでしょう。つまり“散歩”や“遠足”に近い」と答えている。韓国は自分の時間を取り戻すための場所だと考えている。散歩にしては割に合わなさすぎるとは思う
  • 写真をたくさん撮った

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五輪開催中の韓国へ行きます

2月13日関空発、16日仁川初の便で韓国に行って帰ってきます。

友人と韓国に行く話は元々あってそれは夏に変更になったのですが、冬季五輪開催中の韓国に滞在したい気持ちがあったので、二月中旬あたりに航空券を安く取れないかちょくちょく調べていました。

安いプサンへの便を使ってKTXでソウルやソクチョに行く案も考えていたのですが、DeNAトラベルでアシアナ航空の往復で安い便が引っかかったのでそれで決めてしまいました。航空券だけで21000円ちょっとです。

DeNAトラベルは悪魔的に安くて、一年半前に韓国に二泊三日した時もホテル付きで一人15000円くらいで行けたんですが、帰りの便ちゃんと付いてるのかなって不安になりますね。

三泊四日でホテルは取ってないんですが、チムジルバンとかモーテルで寝るつもりなので多分大丈夫です。

余裕があったらチュソクまで行ってオリンピックの雰囲気をより近くで感じてきたいと思います。そして夜はクラブに行きます。

それとやったことないけどTinderをやりたいです。外国人がいっぱい来てて楽しそう。

就活中なので韓国で面接も受けます。というか就活から逃げる旅行でもありそうです。

それでは韓国でまた。

妙心寺へ行きました

今日(2月4日)は天気がよかったので右京区花園にある妙心寺に行きました。

父の実家の檀那寺が臨済宗妙心寺派のお寺なので、大本山に行って教本を買おうとずっと思っていたのです。

一眼レフのバッグだけ持って自転車で行きました。その途中でコートのポケットに入れていた真新しい折り畳み式ヘッドホンを落としたことに、次のお店を出るとき気づきました。

上七軒でラテアートのお店に寄りました。カフェラテとホットサンドを注文しました。ホットサンドは途中で落としましたが美味しかったです。

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まずは石庭で有名な龍安寺に行きました。三脚禁止である以外は写真撮影も全然OKでした。石庭は借景のイメージがあったんですが枯れた木の枝でそこんとこよく見えませんでした。いい写真がたくさん撮れたのと、色紙や風呂敷や経典を買えたので良かったです。

 

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それから妙心寺に行きました。白壁の中を道が入り込んでいて、城っぽい感じでした。法堂の雲龍図とか見れるツアーの本日最後の分に参加できましたが、そこは撮影禁止だったのが惜しかったです。おみやげ買えるところを探して自転車で走り回っていたら溝に車輪が嵌って転倒し、体はもとよりカメラEOS 60Dも地面に打ち付けたのが辛かったです。レンズのガワの部分に傷がつきましたがレンズそのものは大丈夫だったので安心しました。境内の外に会館があり、そこで一時間くらい考え込んだ後に小風呂敷と般若心経の扇子を買いました。西国三十三所御詠歌の経本が一番欲しくて、それが中に収録されてる分厚い経本はあったんですが、そちらは買いませんでした。

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帰りにラーメン親爺というお店でラーメンを食べました。京都ではあまり見かけない、色の濃い醤油ラーメンで美味しかったです。店長が本当に親爺というイカつい見た目でしたが喋ってみると人が良さそうな方でした。

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帰りに同じ道を通って見回しましたが結局ヘッドホンが見つかることはありませんでした。

僕がボクシングを始める理由

昨日から近所のボクシングジムに通い始めることにしました。

初心を忘れないために理由を書き残しておきます。

武術の習得

頭脳を動かす技能しか勉強してこなかったので、身体の型を身につけたいと思っていました。とりわけ武術(Martial Art)はそのような動作の型を提供してくれるように思われました。それは身体による思考(あるいは思考しないこと)の形式であり、表現であるからには言語の一形式であるように感じられます(「肉体言語」という言葉もありました)。

多動性の昇華

僕には多動傾向があると感じているので、そのエネルギーをうまく逃がす手段が必要だと感じていました。武術には空手や合気道のような静的な型を持つものと、ボクシングやカポエイラのような動的な型を持つものがあると考えていますが、常にステップを踏んで場の変化に備える動的な型を持ち、一人でも練習できるボクシングはその手段としてちょうどよいと考えました。

抵抗感の克服

人に対する、あるいは人間にある種の暴力を下すことへの抵抗感を払拭しなければならないと考えています。僕は正義の執行という概念にのっぴきならない関心を抱いており、暴力が正義の必要条件であることを認めるに至りました。つまり正義は暴力によって執行されるのであり、暴力を行使できなければ正義もまた可能とはならないということです。僕は少し前に戦争研究に関する書籍を読んでいましたが、ほとんどの人間が敵の目前においてさえ抱き、しばしばそれによって自らの命を落とす、人を殺傷することに対する抵抗感は、訓練を通した脱感作および条件づけによって克服できることをそこで知りました。今の僕は人に暴力を振るうことはおろか、触れることにさえも抵抗感を覚えてしまいますが、これは単にそのような訓練が足りないだけであり、訓練を積みさえすれば克服できるものと考えます。

肉体の増強

このような暴力のためのレッスンをする以上、どうせなら肉体も強くありたいものです。三島由紀夫も元々は軟弱だったのがボディビルディングを通してあの強靭な肉体を手に入れたと言いますし、強力な思想は強力な身体を手に入れることをも可能にします。

威力による武装

このように武術や強い肉体を身につけることにより、争いを未然に防ぐこともできるでしょう。また言い争いは往々にして不毛なものですが、「いざ取っ組み合いになれば素人の相手など簡単に打ち負かせることを自分は確信している」と考えれば、心にも余裕ができるというものです。

練習生への興味

僕と同様に学生でボクシングを習い始めた者、とりわけ女子に関心があります。

就活でのアピール

就活で新しくボクシングを始めたとアピールすれば引きが良さそうだと思いました。

DJを始めることの利点

先日、DJをするために曲を集める作業は論文を書くために文献を収集する要領と同じだというツイートをしました。

自分の周りの京大生は論文を書き上げるという課程上の最終目標に学生アイデンティティ統合の成果物としての意義を短絡させてしまいがちであるように見受けられますが、小説を書くことが論文執筆と作法こそ違え自身の主義主張について論説を構成していくように、ヒップホップしばくのもDJやるのも一定の表現手続きにのっとった研究発表であり、それ自体が論文と同等の成果物だと私は思っています。

さて、DJを始めて気づいた、DJすることの効能について三点書きます。

音楽を能動的に聞くことになる

DJをする時にどのような曲をどのようなつながりで選ぶかを考えながら曲を調べるので、音楽を能動的に聞くことになります。音楽を受動的に聞くと言うと手軽そうに聞こえますがラジオや音楽配信サービスでもないと基本的に限定された曲しか周囲にはありませんし、環境としての音楽は逆に言えば音が鳴っていれば何でもいいわけでYouTuberの商品紹介とかに取って代わられて習慣が終わります。しかしDJをしていると音楽を聞くのに先に挙げたような目的が生まれ、みずから音楽を探索する動機づけが得られます。それで私は最近は周りの人があんまり聞いてなさそうなK-POPを聞くようになりました。

自分の好きな音楽を人に聞かせられる

これは上に挙げたことの裏面なのですが、DJをすると人に音楽を聞かせることができます。LINEとかで「この音楽かっこいいから聞いて」と人に曲を聞かせようとしても実際に聞いてもらうことはあんまり期待できません。また仮に聞いてくれたとしてもよほど心をつかむものでない限り聞かせられるのはせいぜい二、三曲が限度で、それ以上聞かせようとするとウザがられるか引かれます。しかしクラブやDJイベントには音楽にノリたい人が来ているので、相手の好みに関係なく十曲以上を強制的に聞かせられます。プロならばともかくアマチュアの我々は自分が選んだ音楽を爆音で流してフロアの人に聞かせるだけで満足ですし、それで曲にも興味を持ってくれたら儲けもんくらいに思えます。

イベントに人を呼べる

これも上に挙げたことと関連しますが、DJイベントに参加したり自分で開催したりすると人を呼ぶことができます。クラブなどでDJを自覚的に見たことのある人はあまりいないと思うので面白い見せ物になると思いますし、逆によく行く人であれば定期的に共有する場が作れます。またステージに立って自分の好きな曲をかけるのは、自分について知ってもらう効果的な手段だと思います。自分が出演するイベントに呼んでもらった人は悪い気はしないと思っていて、僕はゼミの飲み会でDJをきっかけに親しくなった美人からイベントに招待されてメチャクチャ良かったです。

以上、DJを始めることの利点について三点書きました。

すでにDJについて教えてくれという者が周囲に二、三名ほどいるので、場所どこか借りて軽く触れる機会を近いうちに設けたいと考えています。

DDJ-RBを買いました

去年12月のアマゾンサイバーマンデーセールでParty Mix買ってから一ヶ月経ってVirtual DJのライセンスが切れてしまったので、ならいっそと思いDDJ-RBを買いました。

OTAI RECORDさんでコンポとか台とかついて37kちょっとでした。

金曜日に注文したら名古屋から二日で届きました。
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-家に帰ったらでかい箱が届いていた(アプリから画像送ると強制的に横倒しされる)


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-中にいろいろ詰まっている(これは天地が逆ですね)

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-箱を担いでいる
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-綺麗な板!

 

音が出ないと思ったらフェーダー下がってたとか、グリッドの位置の変え方わからないとかで苦戦していました。これから操作に慣れていきます。