カメラを譲り受けました

これからブログを書いていこうと思うので、今日はブログを書きます。

昨日サークルの後輩から使わなくなったカメラを買い取りました。キヤノンデジタル一眼レフです。EOS 60DCANON EF50mm 1.8F STM、それからバッテリーグリップのセットで四万円でした。

話がつく前までペンタックスのKPが欲しいとかソニーのα7IIが欲しいとかキヤノンよりニコンで揃えたいとかあったんですが、手始めなのでよいでしょう。

ファインダーを覗いて撮影するという行為が大事なので、これから掃除器具とかカメラバッグとか買って写真を撮っていこうと思います。


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川の向こう、取り憑く島

adventar.orgSilloiです。

サークルクラッシュ同好会アドベントカレンダーの四日目を担当します。

ホリィ・セン、メンヘラ神についての苦しい記述お疲れさま。私は京都のある土地の記憶、あるいは因縁を断片的に綴ります。

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京都駅を通るJR東海道本線を境に、京都は町並みが一変する。「洛外」に当たる京都市の南半分は、国道沿いに市街地が広がるただの地方都市だ。バージェスの同心円モデルよろしく、この地域には低所得者の居住を想定した公営住宅が数多く並ぶ。とりわけ伏見・山科の一帯は、昔から不良やチンピラが多くガラの悪い地域と言われている(「京都 治安」などのキーワードで検索してみよ)。

巨椋池干拓してできた土地に、何十棟もの細長い団地が林立する。伏見区向島ニュータウンは、市内に流入する労働者人口の受け皿として計画的に造成された団地群だ。「団地」という言葉にはしばしばこのような印象がついてまわるが(「団地の子と遊んじゃいけません!」)、向島は二十年ほど前まで京都市内でも特に治安が悪かったらしい。このような時代の向島を生きて成功を掴んだ人物としては、ヒップホップ・ラッパーのANARCHYが挙げられよう(ANARCHYと向島ニュータウンについては拙レポート「場所と居場所 ―ニュータウンと団地、その狭間(ストリート)での唄い―」で詳述したので、関心のある方はそちらを参照されたい)。

www.youtube.com

京都市伏見区、そして向島。私にとってそこは単なる住宅地ではない。幾許かの人間関係によって色づけられた街だ。都市形成の複雑さ以上に、心象風景がこじれた土地だ。

四年前の夏、私はSkypeで招待された会議を通じてKと知り合った。私が会議通話で喋ろうとしなかったのに対し、個人チャットでしきりに声を聞いてみたいと催促してきた。Kの一人称は「僕」であり、実際少年らしい声をしていた。私もまた女と聞き分けがつかない声だったから、私と彼女とは“対称”的だと思った。

後には別の会議において、Kの「リア友」であるところのYとも知り合った。ネット慣れして喋りも達者なKに対して、京都弁で喋るYは“普通の”少女であるように思えた。同じ京都に住んでいるということで、YからはKとの関係も含め地元・京都に関する話を色々としてもらった。そして意外にもKではなくYとの間で、実際に会おうという話が出てきたのだった。

伏見の中心街・大手筋商店街が伸びる先には、京阪・伏見桃山駅近鉄桃山御陵前駅を挟んで、御香宮(ごこうのみや)神社の大きな鳥居が立っている。この神社では十月初めに「御香宮(ごこうぐう)」と呼びならわされる祭りが行われ、当たり一帯は露店と出し物と地元の人々で年一番の活況を示す。

三年前にその御香宮を、Yと一緒に回る約束をした。しかし直前になってKもついてくると言うので、私の中ではKと会うのが目的にすっかりすり替わってしまった。京阪電車伏見桃山駅に到着した私は、待ち合わせ場所の桃山御陵前駅に歩いて移動した。当時の私はスマートフォンを持っておらず、連絡は携帯メールで取ることにしていた。

オフ会で人と会うのはこれで二度目だった私には要求するのも無理からぬことだが、相手の顔を知らないのはもとより服装も確認していなかった。駅の柱に、KとYと思しき二人の姿が見えた。この時フードを被ったKと目が合った気がするのだが、彼女の顔は今に至るまで記憶から完全に抜け落ちている。確信が持てなかった私は、いったん駅に入って柱の裏に回り込み、携帯で連絡を取りながら背後から声を掛けようとした。

これがいけなかった。当座で怖れをなしたKが神社に向かって歩き出し、Yもその後を追いかけ始めた。Yからの連絡によりKが逃げ出したことを把握した私は、Yと落ち合って挨拶もそこそこに二人でKの後を追った。律儀にも本殿の前で参拝の列を待つ彼女に追いつき、私はようやく声をかけようとして振り返ろうとしない彼女の右肩に手をついた。瞬間、彼女はビクッと体を震わせて「ギャッ」と声を上げ、列を抜けて露店の中へ再び逃げ出してしまった。

フードを目深に被って顔を決して見せようとしないKに対して、私の働きかけはことごとく裏目に出た。なんとかして彼女とコミュニケーションをとりたい私は、いきおい彼女を追い立てる形になってしまうのだった。何かの拍子にKから蹴る殴るの激しい抵抗を受けたが、それだけが私に対する“手ごたえのある”反応と言えるものだった。お金を持って来ていないからと駅へと帰ろうとするKに、彼女の好きな狐の面を渡そうとして、果たせなかった。

改札を抜けて駅のホームまで上がったものの、Kの姿をとうとう見つけられなかった私は、途方に暮れて駅の柱にしばらくしゃがみ込んでいた。この後どうしようかと思っていたところに、すっかりはぐれたと思っていたYが私の前に現れた。気立てのよいYは私を気遣ってシダックスに連れて行ってくれたが、それが私にとってほとんど初めて体験するカラオケだった。いったん駅に自転車を取りに行った彼女と、夜の国道24号線沿いを街灯と団地群の明かりの下で歩きながら、踏切を渡った橋のたもと、京阪・観月橋駅の前で別れた。

Yとは翌月の11月祭をその妹Aと一緒に回り、それが以後三年にわたり続いた。高校の前までパンフレットを届けに行くのも含めれば、年二回はYと会う計算になる。しきりに私と接触するYに対してはKからも干渉があったようで、私は何度かKの命によってYからLINEやTwitterでブロックされたが、Aを通じて連絡手段が完全に途絶えることはなかった。Yに対して恋慕の情はなかったが、目がくりっとして顔立ちのはっきりした、愛らしい少女だった。

リアルでは私を拒絶したKだが、ネットではかえって好意を寄せてくるように見えた。正月には年賀状を出し、二月と三月にはお菓子を送り合った。その三月の初めの時期、毎晩のようにSkypeで親密な通話をしていた時期がある。後に彼女は当時ネットで東京在住の「キャス主」と交際していたことが判明したので、つまり私は体よく遊ばれていたことになる。

母子家庭、一人っ子、しばしば家に来る母の彼氏――彼女は生育史からして、私の興味を十分に惹く存在だった。私の述べるものの感じ方に対して、彼女は対決するように反対の意見を表するのだった。またこれはメンヘラの常套手段ではあるのだが、Kは自らの内心を謎として私に提示した。私はその謎を解こうとして、結局解けずじまいだった。

彼女に名前を与えよう――東の白狐、不顕のディーヴァ。心冥鬼岩の黒雲母、頭の中の昏い唄。

二年前にサークルの取材のために、向島の地を初めて訪れた。近鉄向島駅を降りると、舗装された道路が緩やかにカーブして奥へと伸びていた。ここが「向島ニュータウン」であることを告げる看板を通り過ぎると、巨大な団地群が天へとそびえ立っていた。パステル調に彩色された団地の風景は、計画的に配置された街をますます寂しくさせているように見えた。

取材では向島のとある中学校を訪れた。女子は活発に喋る歳相応の生徒が多かったが、男子の中には数人ばかり粗暴な生徒が見られた。「クラスの生徒は大半がオタク」、Aの言葉が頭をよぎった。オタク文化はヤンキーのマイルド化に一役買っているらしい――いつかネットで目にした仮説を、私は思い起こした。

Kと同じSkype会議で知り合った者に、Rという一つ下の学年の少女がいる。喋るスピードが非常にゆっくりとしているので、北海道の人間は皆この調子なのかと最初は驚いたものだ。彼女はYと私が知り合う以前からの友人だったが、男性に媚びるようなKの態度に対して「ビッチ」という陰口をこぼし、次第に距離を取るようになった。しかし同時期に彼女は、Kの幼馴染であるところのMから一時熱烈なアタックを受けていたかと思いきや、後にはRの方から粗暴なMに好意を抱き、曖昧な恋愛関係に至っているようだった。

そのRであるが、高卒後の進路として伏見区のとある工場の事務職への就職が決まった。来年度からは北海道から京都に移り住み、単身で働きながら生計を立てることになる。就職は道外がいいと言っていたRが京都のしかも伏見区に職場を求めたのは、やはりMとのことが念頭にあったからだろう。ところでKは高校在学時、卒業したら関東で就職すると言っていたが、東京の彼氏とも別れた現在、なおも団地を出るつもりは果たしてあるのだろうか。

ネットで知り合う中高生の友人が多い都合上、私は関西から遠く離れて彼女たちに会いに行くことが多いのだが、彼女たちと会うことがもはや難しくなった後にも、その街に再び足を踏み入れることがしばしばある。本人を追うならそれはストーカーに他ならないが、私の場合追っているのはあくまで彼女の痕跡なのだ。あるいはこうも言うことができよう、私は彼女の見た景色を再体験しようとする。そして私の記憶の中に、彼女の視点を再構成する。

ネットの交際ではよくあることだが、しばらく連絡が途絶していた相手と、突然交流が再開されることがある。先日、LINEやTwitterでブロックされて以来すでに高校を卒業していたKから、「気まぐれ」で再びTwitterでフォローをされる関係になった。現在は市内のとある短大に通い、演劇のサークルに入っているという。身辺のことを聞くと相変わらず話をはぐらかす彼女は、やはり今でも私に対してはあくまで「ネットの人」らしい。

「こじらせ」という言葉の元は、「こじれる」という動詞である。それが「こじれ」ではなくあくまで「こじらせ」であるのは、感情の複合体、すなわちコンプレックスをこじらせるところの主体が意識されるからだろう。とはいえそれは意志を伴った能動態としての主体というよりは、自らへのとらわれの中にある中動態としての主体である。私にとっての「こじらせ」とは、他者の那辺に惹きつけられ、そして実際に足を運んでしまう、行動としての感情=情動の様式であるかもしれぬ。

* 

しかし因縁は意志に関わりなく運命を引き寄せるようだ。今年度、大学院に進学した私は本格的に教職課程を履修することになったのだが、その中のとある科目でふいに向島の地名が現れた。その名を冠する中学校が文部科学省のとある改革プログラムの指定校になっており、受講生はその授業見学に行くことになっていたのだ。その校名は、Yが自分たちの出身校だと話していたその校名だった。

期せずして私は、彼女たちの卒業した中学校に踏み入れた。配布資料の中に出てくる「荒れの時代」、「教師たちの粘り強い取り組み」といった苦い歴史を、後者の古さが物語っていた。また現在もなお「非常に厳しい生徒実態」があるこの中学校で、生徒に対する「コミュニケーション能力の向上」および「自尊心の育成」といった目標が掲げられているのには、「めんどくさい」が口癖だったKのことを思い浮かべずにはいなかった。ただしそこで彼女たちの姿は像を結ばず、私はその日ただの「かつての問題校」を早々に後にした。

毎年大学まで来てくれていたYとAも、今年の11月祭には来なかった。十月の御香宮の祭りにも、かの日の一年後に行ったきり訪れていない。しかし向島という土地には、何かにつけて吸い寄せられ続けるようだ。彼女たちが当てられたのと同じ気は、道路という経絡を通じて堰き止めがたく京都を循環している。宇治川の向こう、鉄筋コンの島々に、しがみつき暮らす人々、憑きまとう淡水の記憶。向島という空虚な土地の重力は、今もなお私を取り巻く関係に影響を及ぼし続ける。

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この記事は、サークルクラッシュ同好会アドベントカレンダーの四日目として執筆されました。5日目の担当はみにょ~る(@tnskikr_com)さんです、よろしくお願いいたします。

 

(本記事で掲載されている写真は、内容とは一切関係がありません。)

ゲシュタルト崩壊フラグさんの個展に行きました

ゲシュタルト崩壊フラグさん初個展 京都 : 京都新聞

京都新聞で取り上げられてLINEニュースにも載ってたらしいです。すごい。

ゲシュタルト崩壊フラグさん(以下、ゲシュさん)が初個展をするということで、8日にゼミの同期と一緒に行きました。

場所はMATTua-LAという、清水五条の障害者就労事業所がやっているアトリエです。

ゲシュさんとは別の団体の機関誌でその活動を知ったのですが、「夕暮れ」という絵を見てすごく感じ入り、しばらくそこのアトリエに出入りしていました。

最初はその色彩に魅了されたんですが、彼女や他のアール・ヌーヴォーの絵にも特徴的なのは稠密で複雑な文様で、ここ数年はそこからさらに発展して新作文字を絵とともに書くようになっており、その点でいわゆる「障害者によるアート」の域を超えているように思えます。

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「文字新作」という症状が精神病理学にあります。文字は僕の研究対象であり分析概念なんですが、彼女の文字には意味がありません。欠落しているというよりは、元々意味がないんですね。いわば幽霊文字のように、それ自体を表象するために存在しているようです。

彼女に訊いてみたところ、これらの文字を書いていると「落ち着く」ということだそうです。これは僕も高校生の頃から文字新作をやっているのでよくわかります。文字を生産するという行為は、文字それ自体を物質としてそこに再生産するということであり、それは文字を再生産する主体をそれによって世界に結び付ける象徴的行為なのではないか、と最近は考えています。

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まあ、そういう難しい話を差し置いて、可愛くて不思議なゲシュさんの絵が見られるよい機会でした。

東京に特別展を観に行きました

5月31日(もう10日近く経っていた)、東京にいくつかの特別展を観に行きました。

交通手段はいつものさくら交通の高速バスです。2000円以下。今回の車両は普通でした。

午前7時10分に到着、秋葉原に着いた頃には行きたかったスーパー銭湯が閉まっていて残念。開館の9時半までを上野まで歩いて過ごします。

**ブリューゲルバベルの塔」展@東京都美術館

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僕の住んでいるシェアハウスがバベルを名前に冠しているので行ってきました。

ちょっと見に行くつもりが結構ボリュームあって二時間半ほど滞在してしまいました。

ブリューゲルをタイトルに掲げていますが、16世紀前後のネーデルランド美術が中心です。ヒエロニムス・ボス(ボッシュ)がブリューゲルに先立つものとして取り上げられていて、名前は初めて知ったんですが興味深い立ち位置の画家だと思います。フロイトの「不気味なもの(Unheimlich)」ですよね。そういや今度こんなのもある。

ベルギー奇想の系譜展 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで |ABC 朝日放送

バベルの塔はそれほど大きくなくて、絵の前に人だかりができてました。しかし絵自体はすごく細かくて、拡大したものを見ながらすごいなあと思っていました。東京藝大の人たちが3Dで再現CGを作っていて、これまたすごい努力だなあと思った次第です。バベルの塔を再現する試みって、改めて考えたら面白いですね。

 

**大エルミタージュ展@森アーツセンターギャラリー

これの前にミュシャ展を見ようと乃木坂の国立新美術館に行ったんですが、平日にもかかわらず午後2時頃で80分待ちとか気が狂いそうだったので、予定を変更してこちらを先にしました。

エルミタージュ美術館は国の威光をつけようと躍起になっていた当時のロシア帝国が作った美術館ですね。とはいえ当初は「エルミタージュ(Hermitage)」という名の示す通り、エカテリーナ大帝が個人的に欧州の絵画を蒐集していたのが始まりだそうです。人物がパッと浮かび上がるようなゴシック美術が多くて綺麗でした。あと平日は特別にエカテリーナ大帝の肖像画が撮れるというので撮ってきました。

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**ミュシャ展@国立新美術館

大エルミタージュ展を出る頃にはもう午後5時前で、これはもうミュシャ展無理かなと思いながら国立新美術館に来てみたら、5時10分時点で10分待ち。30分でも見れればいいやと思い、チケットを購入し列に並びます。

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入室しても当然ながら中は混んでてゆっくり見れないんですが、なんせ目玉のスラヴ叙事詩はめちゃくちゃデカいので十分見れます。近くで見れば色々観察できて面白いのでしょうか、なんせ高くてそこまで見れないし、確かに30分で十分だったみたいです。有名なポスターの絵もありましたが画集とかで見れるのでこれもサラッと見るだけ。にしてもミュシャチェコの国家事業にけっこう関わっているみんですね。スラヴ叙事詩民族意識から制作されたものですし。

余談ですがスラヴ叙事詩に関してはチェコ語にの発音に従い「ムハ(ミュシャ)」と表記されていました。韓国でもハングル表記はムハ(무하)でしたね。ムハだと何が何だかわかんないですよね、ゴッホがフランス語だとゴーになるみたいな。あとハムと紛らわしいし。

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改めて思ったのは、ミュシャってアール・ヌーヴォーに数えられたりしてますが、それってやっぱ違くないですか。人物を中心に据えて効果的に表現する画風は、先に観たゴシック美術の流れを汲んでいるように思えました。それから文字の装飾と配置ですが、これもカリグラフィーから発想はそれほど遠くないと思えます。それを幾何学的に配置するのは、確かに斬新ではあったのでしょうが。

ただやっぱりそれまでの西洋絵画とは違う点もあって、絵が写真的なんですよね。つまり人物の表情なんかが、ある一瞬を切り取ったもののように感じられたのです。これは絵画をある連続的な時間の結晶として表現した、それまでの絵画とは異なる特徴だと思います。馬に乗るあの有名なナポレオンの絵は、馬が立ち上がる瞬間ではなくその動的な過程を表現しているのでした。

それゆえ人物が何人か出てくると、スラヴ叙事詩にしても他の絵にしても、同じ時間と場所を共有する一群の人物というよりも、それぞれ別の時間から切り出された人物たちのコラージュという印象を受けました。ただそうした特徴をもってして、アール・ヌーヴォーと呼ぶのはやっぱりなんか違う、と感じます。

 

**オリエント工業40周年記念展「今と昔の愛人形」

これが一番行きたかったんです。

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最近はドールに対する興味がまた復活してきました。ラブドールはまた別ですけど、来てる人も女性が多くて、やっぱりドールとか人形に対する興味や愛好からだと思います。かといって会場が性的にニュートラルかというとそうでもなく、触れるコーナーとか指を入れられるコーナーとかあって面白かったです。

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こちらは「人をダメにする玩具」というタイトルがついていました。

ネットでも記事になっていますね。

女性客が6割! オリエント工業40周年記念展「今と昔の愛人形」で感じた「不気味の谷」が潜む場所 | ロボスタ - ロボット情報WEBマガジン

ここにも書いているんですが、不気味さは全然感じないんですよ。人かと思ったら人じゃなかったみたいな、そういうハッとすることはあったんですけど、別にあちらから何かしてくるわけではないし。どちらかというとこっちがどうこうするんですよね。

逆に言えば、人間の生々しさみたいなのがないです。触ると冷たくはないものの温かくもないし、ねとっとしているし。あとこっち見てくれないですよね(僕が見ようとしなかっただけかもしれないが)。これに生々しさを付け加えたものが、いわゆるアイドルなのかもしれないですが…。

Amazonでは品切れになっていた本を買えて良かったです。研究の資料にします。周りの人に見せても喜ばれます、特に女性。

午後10時過ぎの高速バスに乗って京都に帰りました。東京はいろいろ催し物があってよいですね。値段的には気軽に行けるんですが、やっぱり数時間に一度起こされる夜行バスは時々でいいかなあ。

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約束とイノセント・ネグリジェンス ADHDについての一考察

ADHD、つまり注意欠如・多動症について、最近色々と思うことが多いです。僕はあるADHD者のことをいつも考えているのですが、それはADHDについていつも考えているということでもあります。

先日、認知科学の講義で作業記憶(ワーキングメモリ)という概念を知りました。気球の数を数えるなど、ある課題を遂行する際に情報を短期的に保持しておく記憶領域のことで、心理学実験で単語を覚えて答えさせられたりするのは、たいていこの能力を測っています。注意が目標以外の対象にそらされたり、課題無関連思考が起こったりすると、ワーキングメモリの働きが妨害され、課題遂行のパフォーマンスが下がってしまうというわけです。

講義では言及されていなかったのですが、この「課題無関連思考」というものが、ADHD者の思考、とりわけ創造的なそれに深く関わっているのではないか、と僕には思われました。ADHD者は学校での授業という形式にあまりなじまない一方で、しばしば芸術など創造性の面で才能を発揮します。これはまさしく思わぬところで生まれるひらめき、「課題無関連思考」と言われるものの正の側面なのではないかと考えたのです。

ADHDと呼ばれるように、AD(Attention Disorder)すなわち注意欠如とHD(Hyperactivitiy Disorder)すなわち多動性とは普通ひとくくりにされますが、多動性が思考において活発となったとき、ワーキングメモリの働きが阻害され、それが注意の欠如としてあらわれるのではないか、と僕は推論しました。このようなロジックにおいて、マルチタスクが苦手なことと、色々なことを同時に思考していることとは矛盾しません。

ADHD者は、約束を果たすのにしょっちゅう失敗します。このことも心理学実験になぞらえて考えることで納得がいきました。約束とは課題であり、約束を果たすことは課題を遂行すること、そのためにひとつの思考を維持しておくことは、彼らにとっては大変な作業です。ひとたび注意をそらそうものなら、課題無関連思考のなすがままになるでしょう。それで彼らは計画の実行を先延ばしにし、約束を果たせずに次の機会としてしまうようです。

おそらくは、僕もまたADHD者です。だからそうした事情は、客観的にはよく理解できます。診断はありませんが、子供の頃から多動性や衝動性があったことに加え、生活面や精神面が不安定になると注意欠如が顕在化することが、大学に入って一人暮らしを始めてから自覚されました。ただ厄介なことに、僕にはまた別の発達障碍、ASD自閉スペクトラム症)の傾向もあるようです。そこで特徴的なのは、数字や音韻といった規則に対するこだわりです。ASD者はその上に形成されたパターンから外れることを怖れます。例えば物事が時間通りにうまく運ばないと不安になります。そしてその隙に現れようとするのが、あの多動性であり、注意の欠如です。

いずれにせよ、こうした傾向はそれぞれASD者やADHD者に一般的な特性であり、本人の態度にその責任を帰するべきではない、ましてや感情と結びつけて考えるべきではないと思えます。そこでこうした特性を本人から切り離して考えられるように、ADHD者の、意識的にせよ無意識的にせよ、約束の履行を先延ばしにしてしまう傾向を「イノセント・ネグリジェンス(innocent negligence)」、つまり「悪気のない怠慢」と名づけたいと思います。その人は約束について考えていない間、別のことが頭の中に浮かんでいるのでしょうが、それは仕方のないことです。保持しているだけで負担がかかる約束、それももはや果たせなかった約束について注意を促すことは、彼らに対して最も無理を強いることなので、やってはいけないと思います。

それでは僕はどうすればよかったのでしょうか。そこで交わされた「約束」に、僕は一体なにを求めていたのでしょうか。できることならば、約束などせずとも同じ場と時間を共有し、そこに声とまなざしを感じることが、互いにとって必要だと考えていたはずです。ならば場の上に生活を展開し、そこに交わりの生まれる隙を作っておくことが、「約束」になることのない約束、いわば信念ではないかと思われるのです。たとえ想像が思考を侵食しようとも、信念が損なわれることはない。その隙に待ち合わせではなく偶然の出会いが、無邪気な出会いが起こるとすれば、それはとても嬉しいことです。

京都国際写真祭に行きました

先日14日に閉幕した、KYOTOGRAPHIEこと京都国際写真展を最後の二日で回りました。四月の末ごろ、姉小路壁面のスーザン・バーネットのパネルが目に留まって、GWあたり行きたいなあと思いつつ、結局最後まで引き延ばしてしまったのでした。毎年開催しているらしいのですが、今年になるまで知りませんでしたね。いや数年前にもフリーパス買って回った気がしてきたぞ。

さて、いくつか感じた点を書きます。

建物が良かった

やはり京都の諸施設が会場なので、日本の建築物がギャラリーとなっているところはとても良かったです。特に12・無名舎と13・建仁寺の両足院は、室内の暗さと外の庭の緑がはっきりとコントラストをなして、心が洗われるような景色をお目にかかることができました。

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一枚目、とても綺麗でしょ。スマートフォンで撮ったものなんですよ全部。Galaxy S8って言うんですけどね。

二枚目の写真、中央右下に四角い箱のようなものが映っていますが、これはカメラ・オブスキュアといって、庭の景色が上面の障子のような画面に浮かび上がる装置です。目の前を人が通るとこの画面に写り込むんで、単純な仕掛けのはずなんですがこれにはびっくり感動してしまいました。神具職人の手による作品だそうです。

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モノクロ写真

写真展では、モノクロ写真が結構見られました。半世紀以上も前でモノクロが主流だったんだろうなというものは当然ですが、意識的にモノクロ写真で映しているものがいくつかありました。例えば、10・ロバート メイプルソープや15・ザネレ・ムホリの作品など。花や黒人をモノクロ写真で撮るのは対照的に見えますが、狙った効果は同じなのかもしれません。

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モノクロ写真はなんか好きで、画面がキリッと引き締まった感じがします。単純に考えれば、色彩情報の次元が落ちてるはずなんですが、それを感じさせないのはどうしてなんでしょうね。無限が何次元重なろうと、人はそこに無限の広がりを見てしまうのでしょうか。

装置がすごい

写真が主な展示物ですが、会場によっては映像などのインスタレーションもありました。盛況していたのは14・TOILETPAPERの作品ですよね。キラキラした空間に女の子がたくさん来ていました。

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思わずも良かったのは03・山城知佳子の作品。1階の映像作品は最初どういうものかわからなかったのですが、途中でその意図を了解して舌を巻きました。政治性という先入観を抱いていたのが吹き飛びました。2階の展示も両方良かったです。

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あとヌード写真がよかった

人間は所詮クソでしかないのか 〜園子温『ANTIPORNO』感想

園子温監督の『ANTIPORNO』を見た。
芝居を見ているようだった。というより芝居そのものだった。ポルノは仮構にすぎないけれど、現実もまた演じられた仮構だ。そこに自由はどこにもなく、何者にもなれぬ我々はクソである。

場所は神戸の元町映画館。僕は神戸に住んでいるが、元町は三宮までの通過点で、商店街のあたりなど歩いたことがあまりなかった。研究室への手土産に、亀井堂総本店で菓子折りを買った。老祥記の豚まんも食べた。

芸術作品について文章を書くときにはいつも思うことだが、芸術とは技術(art )であり、現代ではしばしばテクノロジーの所産である。「メディアはメッセージである」(マクルーハン)のだから、映画という媒体で表現されたものを、文章という異なる媒体で再現することはできない。翻訳は嘘つきなので(Traduttore, traditore)、今回もいくつか焦点を絞り、作品を意訳しようと思う。

最初にお断りしておくが、本作品にエロや耽美の要素はほとんどない。本編を通して性的なシーンが多くを占めているが、それらはエロくもなければ美的でもない(倒錯は別として)。その点で確かに本作品は、日々消費されるところのポルノとも、あるいは本作品と並んで公開されているロマンポルノとも異なる立場を取るアンチ-ポルノである。

どうしてエロくないかと言うと、そうした気分がすぐさま奪われるからである。映画は原色の舞台で始まり、京子の裸体は途端に色褪せる。濡れ場は背景に貶められるか、ただの演技だったことを露呈される。この作品において、性愛的なものはただちにメタ化され、モノに変えられてしまう。エロティックなファンタジーに没入する隙はなく、束の間それを期待した私は、玩具を取り上げられた子供のように、たちまち醒めてしまうのだった。

このような演出を構成する主要な要素が芝居だ。我々が今見ていたものは芝居だったと突然明かされ、登場人物の立場がもはや逆転してしまったことに拍子抜けする。しかし京子の家族とのやりとりも明らかに芝居じみており、ここでも芝居、あそこでも芝居、芝居でない時がわからない……。

京子はある瞬間は処女、ある瞬間は売女であると言う。しかしそれは裏を返せば、処女にもなれず、売女にもなりきれないということだ。芝居が終わると、今度は京子が決意表明を強いられる、「お前は売女になれるか」。こうした葛藤の中、京子はますます狂人のようになる(ところで売女「ばいた」という言葉を耳にしたのは、ハチの「パンダヒーロー」以来だ)。

性的興奮が極大に達すると、京子はトイレに駆け込み嘔吐する。確かにポルノによる射精は、体の底から湧き上がる不快感を、ゲロとして排出するようなものだ。このように作品は一貫して女体を通した男性の自己反省でありこそすれ、女性が主体となるフェミニズム的な主張では断じてない。そのことは芝居の撮影陣が全員男で占められていることに象徴されている。

より強烈なのは、作中京子が連呼するクソという言葉だろう。これは一つには、Twitterに見られる園子温監督の言行そのままだ。いま一つには、より哲学的な、あるいは精神分析学的な隠喩だろう。ポルノも愛も、人間の上から幻想を取り払ってしまえば、そこにあるのはただの肉体、究極的には糞である。ナントカという偉いお坊さんが人間は所詮糞の棒だか袋だか言っていたが、それを懸命に覆い隠して飾り立てようとして来たのが人間文化であり、愛とポルノはその両翼であったろう。

様々な色が混じって汚くなったインクの中を京子が這いずり回るシーンで映画は終わる。彼女は叫ぶ、「出口がない」。果たしてこれは本来クソにすぎないポルノ、ひいては人間文化に対する悲観論に過ぎないのだろうか。否、むしろ『ANTIPORNO』と題するこの作品が、出口なき失敗という形で締めくくられることは、ポルノの可能性を背理法のような形で示したことになるのではないか。ならば人間それ自体に無限背進するのではなく、ポルノでも何でもよいから、幻想を推し進め強化していくべきなのだ。「生きることはバラで飾られねばならない」(モリス)。その意味で本作がロマンポルノ作品に名を連ねたことは、なるほど意義があったように思う。