川の向こう、取り憑く島

adventar.orgSilloiです。

サークルクラッシュ同好会アドベントカレンダーの四日目を担当します。

ホリィ・セン、メンヘラ神についての苦しい記述お疲れさま。私は京都のある土地の記憶、あるいは因縁を断片的に綴ります。

***

京都駅を通るJR東海道本線を境に、京都は町並みが一変する。「洛外」に当たる京都市の南半分は、国道沿いに市街地が広がるただの地方都市だ。バージェスの同心円モデルよろしく、この地域には低所得者の居住を想定した公営住宅が数多く並ぶ。とりわけ伏見・山科の一帯は、昔から不良やチンピラが多くガラの悪い地域と言われている(「京都 治安」などのキーワードで検索してみよ)。

巨椋池干拓してできた土地に、何十棟もの細長い団地が林立する。伏見区向島ニュータウンは、市内に流入する労働者人口の受け皿として計画的に造成された団地群だ。「団地」という言葉にはしばしばこのような印象がついてまわるが(「団地の子と遊んじゃいけません!」)、向島は二十年ほど前まで京都市内でも特に治安が悪かったらしい。このような時代の向島を生きて成功を掴んだ人物としては、ヒップホップ・ラッパーのANARCHYが挙げられよう(ANARCHYと向島ニュータウンについては拙レポート「場所と居場所 ―ニュータウンと団地、その狭間(ストリート)での唄い―」で詳述したので、関心のある方はそちらを参照されたい)。

www.youtube.com

京都市伏見区、そして向島。私にとってそこは単なる住宅地ではない。幾許かの人間関係によって色づけられた街だ。都市形成の複雑さ以上に、心象風景がこじれた土地だ。

四年前の夏、私はSkypeで招待された会議を通じてKと知り合った。私が会議通話で喋ろうとしなかったのに対し、個人チャットでしきりに声を聞いてみたいと催促してきた。Kの一人称は「僕」であり、実際少年らしい声をしていた。私もまた女と聞き分けがつかない声だったから、私と彼女とは“対称”的だと思った。

後には別の会議において、Kの「リア友」であるところのYとも知り合った。ネット慣れして喋りも達者なKに対して、京都弁で喋るYは“普通の”少女であるように思えた。同じ京都に住んでいるということで、YからはKとの関係も含め地元・京都に関する話を色々としてもらった。そして意外にもKではなくYとの間で、実際に会おうという話が出てきたのだった。

伏見の中心街・大手筋商店街が伸びる先には、京阪・伏見桃山駅近鉄桃山御陵前駅を挟んで、御香宮(ごこうのみや)神社の大きな鳥居が立っている。この神社では十月初めに「御香宮(ごこうぐう)」と呼びならわされる祭りが行われ、当たり一帯は露店と出し物と地元の人々で年一番の活況を示す。

三年前にその御香宮を、Yと一緒に回る約束をした。しかし直前になってKもついてくると言うので、私の中ではKと会うのが目的にすっかりすり替わってしまった。京阪電車伏見桃山駅に到着した私は、待ち合わせ場所の桃山御陵前駅に歩いて移動した。当時の私はスマートフォンを持っておらず、連絡は携帯メールで取ることにしていた。

オフ会で人と会うのはこれで二度目だった私には要求するのも無理からぬことだが、相手の顔を知らないのはもとより服装も確認していなかった。駅の柱に、KとYと思しき二人の姿が見えた。この時フードを被ったKと目が合った気がするのだが、彼女の顔は今に至るまで記憶から完全に抜け落ちている。確信が持てなかった私は、いったん駅に入って柱の裏に回り込み、携帯で連絡を取りながら背後から声を掛けようとした。

これがいけなかった。当座で怖れをなしたKが神社に向かって歩き出し、Yもその後を追いかけ始めた。Yからの連絡によりKが逃げ出したことを把握した私は、Yと落ち合って挨拶もそこそこに二人でKの後を追った。律儀にも本殿の前で参拝の列を待つ彼女に追いつき、私はようやく声をかけようとして振り返ろうとしない彼女の右肩に手をついた。瞬間、彼女はビクッと体を震わせて「ギャッ」と声を上げ、列を抜けて露店の中へ再び逃げ出してしまった。

フードを目深に被って顔を決して見せようとしないKに対して、私の働きかけはことごとく裏目に出た。なんとかして彼女とコミュニケーションをとりたい私は、いきおい彼女を追い立てる形になってしまうのだった。何かの拍子にKから蹴る殴るの激しい抵抗を受けたが、それだけが私に対する“手ごたえのある”反応と言えるものだった。お金を持って来ていないからと駅へと帰ろうとするKに、彼女の好きな狐の面を渡そうとして、果たせなかった。

改札を抜けて駅のホームまで上がったものの、Kの姿をとうとう見つけられなかった私は、途方に暮れて駅の柱にしばらくしゃがみ込んでいた。この後どうしようかと思っていたところに、すっかりはぐれたと思っていたYが私の前に現れた。気立てのよいYは私を気遣ってシダックスに連れて行ってくれたが、それが私にとってほとんど初めて体験するカラオケだった。いったん駅に自転車を取りに行った彼女と、夜の国道24号線沿いを街灯と団地群の明かりの下で歩きながら、踏切を渡った橋のたもと、京阪・観月橋駅の前で別れた。

Yとは翌月の11月祭をその妹Aと一緒に回り、それが以後三年にわたり続いた。高校の前までパンフレットを届けに行くのも含めれば、年二回はYと会う計算になる。しきりに私と接触するYに対してはKからも干渉があったようで、私は何度かKの命によってYからLINEやTwitterでブロックされたが、Aを通じて連絡手段が完全に途絶えることはなかった。Yに対して恋慕の情はなかったが、目がくりっとして顔立ちのはっきりした、愛らしい少女だった。

リアルでは私を拒絶したKだが、ネットではかえって好意を寄せてくるように見えた。正月には年賀状を出し、二月と三月にはお菓子を送り合った。その三月の初めの時期、毎晩のようにSkypeで親密な通話をしていた時期がある。後に彼女は当時ネットで東京在住の「キャス主」と交際していたことが判明したので、つまり私は体よく遊ばれていたことになる。

母子家庭、一人っ子、しばしば家に来る母の彼氏――彼女は生育史からして、私の興味を十分に惹く存在だった。私の述べるものの感じ方に対して、彼女は対決するように反対の意見を表するのだった。またこれはメンヘラの常套手段ではあるのだが、Kは自らの内心を謎として私に提示した。私はその謎を解こうとして、結局解けずじまいだった。

彼女に名前を与えよう――東の白狐、不顕のディーヴァ。心冥鬼岩の黒雲母、頭の中の昏い唄。

二年前にサークルの取材のために、向島の地を初めて訪れた。近鉄向島駅を降りると、舗装された道路が緩やかにカーブして奥へと伸びていた。ここが「向島ニュータウン」であることを告げる看板を通り過ぎると、巨大な団地群が天へとそびえ立っていた。パステル調に彩色された団地の風景は、計画的に配置された街をますます寂しくさせているように見えた。

取材では向島のとある中学校を訪れた。女子は活発に喋る歳相応の生徒が多かったが、男子の中には数人ばかり粗暴な生徒が見られた。「クラスの生徒は大半がオタク」、Aの言葉が頭をよぎった。オタク文化はヤンキーのマイルド化に一役買っているらしい――いつかネットで目にした仮説を、私は思い起こした。

Kと同じSkype会議で知り合った者に、Rという一つ下の学年の少女がいる。喋るスピードが非常にゆっくりとしているので、北海道の人間は皆この調子なのかと最初は驚いたものだ。彼女はYと私が知り合う以前からの友人だったが、男性に媚びるようなKの態度に対して「ビッチ」という陰口をこぼし、次第に距離を取るようになった。しかし同時期に彼女は、Kの幼馴染であるところのMから一時熱烈なアタックを受けていたかと思いきや、後にはRの方から粗暴なMに好意を抱き、曖昧な恋愛関係に至っているようだった。

そのRであるが、高卒後の進路として伏見区のとある工場の事務職への就職が決まった。来年度からは北海道から京都に移り住み、単身で働きながら生計を立てることになる。就職は道外がいいと言っていたRが京都のしかも伏見区に職場を求めたのは、やはりMとのことが念頭にあったからだろう。ところでKは高校在学時、卒業したら関東で就職すると言っていたが、東京の彼氏とも別れた現在、なおも団地を出るつもりは果たしてあるのだろうか。

ネットで知り合う中高生の友人が多い都合上、私は関西から遠く離れて彼女たちに会いに行くことが多いのだが、彼女たちと会うことがもはや難しくなった後にも、その街に再び足を踏み入れることがしばしばある。本人を追うならそれはストーカーに他ならないが、私の場合追っているのはあくまで彼女の痕跡なのだ。あるいはこうも言うことができよう、私は彼女の見た景色を再体験しようとする。そして私の記憶の中に、彼女の視点を再構成する。

ネットの交際ではよくあることだが、しばらく連絡が途絶していた相手と、突然交流が再開されることがある。先日、LINEやTwitterでブロックされて以来すでに高校を卒業していたKから、「気まぐれ」で再びTwitterでフォローをされる関係になった。現在は市内のとある短大に通い、演劇のサークルに入っているという。身辺のことを聞くと相変わらず話をはぐらかす彼女は、やはり今でも私に対してはあくまで「ネットの人」らしい。

「こじらせ」という言葉の元は、「こじれる」という動詞である。それが「こじれ」ではなくあくまで「こじらせ」であるのは、感情の複合体、すなわちコンプレックスをこじらせるところの主体が意識されるからだろう。とはいえそれは意志を伴った能動態としての主体というよりは、自らへのとらわれの中にある中動態としての主体である。私にとっての「こじらせ」とは、他者の那辺に惹きつけられ、そして実際に足を運んでしまう、行動としての感情=情動の様式であるかもしれぬ。

* 

しかし因縁は意志に関わりなく運命を引き寄せるようだ。今年度、大学院に進学した私は本格的に教職課程を履修することになったのだが、その中のとある科目でふいに向島の地名が現れた。その名を冠する中学校が文部科学省のとある改革プログラムの指定校になっており、受講生はその授業見学に行くことになっていたのだ。その校名は、Yが自分たちの出身校だと話していたその校名だった。

期せずして私は、彼女たちの卒業した中学校に踏み入れた。配布資料の中に出てくる「荒れの時代」、「教師たちの粘り強い取り組み」といった苦い歴史を、後者の古さが物語っていた。また現在もなお「非常に厳しい生徒実態」があるこの中学校で、生徒に対する「コミュニケーション能力の向上」および「自尊心の育成」といった目標が掲げられているのには、「めんどくさい」が口癖だったKのことを思い浮かべずにはいなかった。ただしそこで彼女たちの姿は像を結ばず、私はその日ただの「かつての問題校」を早々に後にした。

毎年大学まで来てくれていたYとAも、今年の11月祭には来なかった。十月の御香宮の祭りにも、かの日の一年後に行ったきり訪れていない。しかし向島という土地には、何かにつけて吸い寄せられ続けるようだ。彼女たちが当てられたのと同じ気は、道路という経絡を通じて堰き止めがたく京都を循環している。宇治川の向こう、鉄筋コンの島々に、しがみつき暮らす人々、憑きまとう淡水の記憶。向島という空虚な土地の重力は、今もなお私を取り巻く関係に影響を及ぼし続ける。

***

この記事は、サークルクラッシュ同好会アドベントカレンダーの四日目として執筆されました。5日目の担当はみにょ~る(@tnskikr_com)さんです、よろしくお願いいたします。

 

(本記事で掲載されている写真は、内容とは一切関係がありません。)