僕がボクシングを始める理由
昨日から近所のボクシングジムに通い始めることにしました。
初心を忘れないために理由を書き残しておきます。
武術の習得
頭脳を動かす技能しか勉強してこなかったので、身体の型を身につけたいと思っていました。とりわけ武術(Martial Art)はそのような動作の型を提供してくれるように思われました。それは身体による思考(あるいは思考しないこと)の形式であり、表現であるからには言語の一形式であるように感じられます(「肉体言語」という言葉もありました)。
多動性の昇華
僕には多動傾向があると感じているので、そのエネルギーをうまく逃がす手段が必要だと感じていました。武術には空手や合気道のような静的な型を持つものと、ボクシングやカポエイラのような動的な型を持つものがあると考えていますが、常にステップを踏んで場の変化に備える動的な型を持ち、一人でも練習できるボクシングはその手段としてちょうどよいと考えました。
抵抗感の克服
人に対する、あるいは人間にある種の暴力を下すことへの抵抗感を払拭しなければならないと考えています。僕は正義の執行という概念にのっぴきならない関心を抱いており、暴力が正義の必要条件であることを認めるに至りました。つまり正義は暴力によって執行されるのであり、暴力を行使できなければ正義もまた可能とはならないということです。僕は少し前に戦争研究に関する書籍を読んでいましたが、ほとんどの人間が敵の目前においてさえ抱き、しばしばそれによって自らの命を落とす、人を殺傷することに対する抵抗感は、訓練を通した脱感作および条件づけによって克服できることをそこで知りました。今の僕は人に暴力を振るうことはおろか、触れることにさえも抵抗感を覚えてしまいますが、これは単にそのような訓練が足りないだけであり、訓練を積みさえすれば克服できるものと考えます。
肉体の増強
このような暴力のためのレッスンをする以上、どうせなら肉体も強くありたいものです。三島由紀夫も元々は軟弱だったのがボディビルディングを通してあの強靭な肉体を手に入れたと言いますし、強力な思想は強力な身体を手に入れることをも可能にします。
威力による武装
このように武術や強い肉体を身につけることにより、争いを未然に防ぐこともできるでしょう。また言い争いは往々にして不毛なものですが、「いざ取っ組み合いになれば素人の相手など簡単に打ち負かせることを自分は確信している」と考えれば、心にも余裕ができるというものです。
練習生への興味
僕と同様に学生でボクシングを習い始めた者、とりわけ女子に関心があります。
就活でのアピール
就活で新しくボクシングを始めたとアピールすれば引きが良さそうだと思いました。